嶋野 栄道 老師 アーカイブ
http://www.shimanoarchive.com |
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禅と誘惑のアート |
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| The Zen of Seduction | |||
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ロビンウェステンで未発表条、1982年8月付。これは、第参照ロバートエイトケン彼の発行年作品にすることです"シマノの物語"ロバートエイトキンアーカイブから |
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The Unpublished Article by Robin Westen, Dated August 1982. This is the Article Referred to by Robert Aitken in his Undated Piece "The Shimano Story" from the Robert Aitken Archive in
The University of Hawai'i at Mānoa. |
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ロビンウェステン
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| 「翻訳に凝縮」 | |||
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私は彼の向かいに小さな円形のクッションに座った。足が既に痺れていた――これは私が座禅を一年間しか練習していなかったということが明らかだった。 彼はそこに立って、手を差し出した。 私はぎこちなく彼の手を取ったが、まだ脚の感覚が戻る前に、彼は乱暴に私を引き寄せ自分の体に押し付けた。そして私の胸をつかんだり、舌を口に入れたり、さらに私のスカートを引き上げ、両足の間に達した。 その一瞬、私は驚きのあまり反応もしなかった。しかし彼を押しのけ、そのまま立っていた。私はまっすぐ彼を見た。彼もこちらを凝視した。彼は何も起こらなかったように、依然として笑っていた。 私は気分が悪くなり、怖く、混乱し、また困惑した。身体への暴行でさえダメージが大きいのに、さらに悪いのは気持ちの裏切りだった。彼は私の禅マスター、先生、指導者であるからだった。彼は残酷にも私の信頼を裏切った。 私は次に何をするか全く分からなく、彼が仏像に一礼した階下の寺院について行った。そして私は出口標識のライトを見て、すぐその建物を出た。 外に出たとき、まだ体が震えていた。私は性的な暴行を受けただけではなく、その犯罪者は禅仏教界で最も尊敬される人々の一人であり、ニューヨーク禅堂の指導者、嶋野 栄道老師であった。 |
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![]() 嶋野 栄道 |
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私が初めての事例だろうか。いや、違うだろう。その日の午後、私は過去と現在の弟子50名以上に電話をかけ調査を始めた。嶋野老師が彼女達の精神的な指導者のふりをしている間、数十人の女性を誘惑、または誘惑しようとしたことを調査の数ヶ月間で私は発見した。少なくとも三人の女性は嶋野との関係後、深刻な精神障害で入院した。 嶋野が15年以上にわたり、セックススキャンダルに関わっていたということが判明したが、禅社会にそれらが明るみになるたび、黙殺された。元代表による禅研究会の評議員に宛てた公開書を通じて、嶋野は個人所得税を支払うことを拒否し、さらに麻薬重罪人からの寄付を受け、また彼自身の75歳の禅マスター、宋淵老師にひどい仕打ちをしたことも明らかになった。 私は電話でこれら罪状について嶋野に質問したが、彼はそれらをすべて否認した。 私はキャッツキルで大菩薩禅堂の住職である嶋野老師に会った。接心最後の日の朝食時、私はオートミールが入ったボウルをずっと見ていた。突然それは美しく見えた。各粒が唯一であるが、同じであると私は気付かされた。感動に満ち溢れ、もはや苦痛も感じなかった。そして私はすすり泣き始めた。しかし私は接心での一番重要なことを思い出し、自分をコントロールし、深呼吸を始めた。 その後私は禅堂の暗いホールを通って、独参室へ嶋野老師の元に走って行った。そして彼にオートミールの経験を伝えた。しばらくの沈黙後、「今あなたが述べたのは見性、即ち悟りです。」と彼は言った。そして私の頭を彼の胸に押し付けた。 接心終了後、禅堂を出ようとした所に嶋野は近づき一緒にニューヨーク市の禅研究会でお茶を飲もうと誘って来た。その後私は自分の精神的成長について話そうとしていたが、意外にも「セックスの一番良い時期は、接心直後で一番女性が魅力的に見えます。もし私が自分の好きな様にできたり、他人が本質を理解したら、みんな接心終了の夜に一緒に寝るでしょう。」と彼は言った。 最初彼が私を誘っているのかと思った。なぜなら禅は得体の知れないものであるからだ。実際禅では「仏とは何ですか。」というような質問の答えは「糞の棒。」という風なばかげたやり取りで満ちていた。私は嶋野老師の言葉は絶対深い意味があると思った。 しかしその後嶋野は私を襲い、全てが崩壊した。精神的な指導の為に来ていたのに、代わりに誘惑されていた。もしオートミールが悟りであったなら、これが禅なのだろうか。 最近の新興宗教と違い、禅はゆっくりではあったが良い評価を得ながら成長した。メディアは中立に扱い、過去6年間で二つの特集記事がニューヨークタイムズ誌に掲載された。 日本では仏教が12世紀に発展し、アメリカには20世紀に伝わった。50年代ビートジェネレーション の人々により実践され、60年代サリンジャーとミニマリズムにより中産階級に浸透して行った。 鈴木大拙氏の「禅は宗教であるか。」で禅は宗教ではなく、神や死後、魂もないと説明している。禅は涅槃寂静に努め、神を崇拝せず、規則もなく、形式主義ではない。唯一の権威は老師であり、特に独参室では弟子達に影響を与えるが、それは精神的な役目によるものである。 米国では老師は少なく、また誰が老師であるかは謎である。それに一度老師になるとその後も支援有無に関わらず、老師のままである。 ニューヨーク禅堂と禅研究会は豪華で大きな建物にも関わらず、嶋野と妻は2ブロック離れた、よく調ったタウンハウスに住んでいた。毎日の指圧マッサージも欠かせなかった。嶋野は彼の優雅な生活やアジア、ヨーロッパなどの旅行のため多額の寄付をする数多くの裕福な弟子がいた。 大菩薩禅堂は大きな湖がある和風の禅堂で、元ハリエット・ビーチャーストウ氏の私有地だった。それは日本国外最大で、また本格的な禅寺である。高価な道具や図書室、キッチンなどの設備もあり、嶋野専用の住居もあった。 29歳の嶋野は1961年に安谷老師の通訳として初めて渡米し、その後中川老師によりホノルルの禅堂に派遣された。ロバート・エイトケン氏は電話で嶋野の三年間の任期はスキャンダルと悲劇に満ち、見苦しい引退で終わったと私に言った。 エイトケン氏は「私は嶋野の性的事件を偶然に発見した。精神科医を通じて女性弟子の病気は嶋野との関係の結果であり、彼がハワイを離れた理由も分かった。」と説明した。嶋野の自伝で「ハワイは観光客のためで禅には向いていない。」と述べいる。しかしエイトケン氏はハワイでも禅は盛んであると言った。 その自伝によると嶋野は12月31日にお金も住む場所もなく、セントラルパークウエストに部屋を貸してくれる友達を頼りにニューヨークに行った。当時の所有物が、仏像と警策(坐禅中弟子の肩を打つ為の木製の棒)であった。しかし60年代ではニューヨークで唯一の禅マスターであったので、多くのニューヨーカーがたくさんの必需品と共に彼の元に押し寄せた。その後4ブロック離れたもっと良い場所に引越しすることができた。 当時の二人の弟子は彼を賞賛している。彼をとても感謝し、貴重な存在と思っている。あるディスクジョッキーは彼を敬愛し、顕著な人物であると言っている。1968年にある裕福なカップルが四階建ての豪華な建物の購入資金を寄付し、71年にはキャッツキルの禅堂に300万ドルの寄付があった。嶋野は弟子たちに寄付をさせる才能を持っていた。 通常より早く71年に中川老師の後任に任命された。数年で嶋野老師は多くの人に禅を伝え、居心地の良い場所にした。しかし禅堂は楽しい場所ではなかった。 75年に一人の愛人が少なくとも他に6人もいることを発見し、大きなセックススキャンダルとなった。元弟子のアダム・フィッシャーはその期間をFuck Follies Iと呼んだ。(Fuck Follies IIはやや小規模で、79年以降行われたこと)内部調査後さらに6人の女性が独参室で接心の間彼に誘惑されたことが明らかになった。 メリー・ホワイトという女性や他の被害に遭った弟子達は沈黙を守っていた。関係が終わると皆精神が崩壊していった。 カルメン・マッセンデンという元弟子は「七日間の接心の時、七章ある本を貰った。尼僧の部屋で毎晩一章ずつ読んでいた。七日目の夜彼が現れ、自分の部屋についてくる様言われた。自分の経験を語ろうとした時、彼は静かにしなさいと言った。そして裸になり、私にフェラチオを強要した。それは何らかの禅の教えだと思い、彼に従った。しかし 私がそれをあまり好きではないと分かると、彼は途端に興味をなくした。」と述べた。 バーバラという女性は自身の事をレズビアンだと思っていた。嶋野はそれを確かめる方法は一つだけで、後で自分の部屋に来るようにと言った。部屋に会いに行くとシルクのスカーフを箱から出し、それを触っていた。それから急に彼女のスカートを触りだした。何をしているのか聞いても、とぼけるだけで彼の行動が信じられなかった。 以下は嶋野との電話での会話である。 「あなたには自分の視点があり、他人には他人の視点があります。自分自身の視点でのみ記事を書く事が出来ます。」と嶋野が言った。 私はそれに同意した。 「だからあなたが記事を書くとき、自分の視点からではなく別の角度からも見る必要があります。最初に言いたい事は、独参室での出来事とその時のあなたの気持ちです。何が起こったか覚えていますか。」 私はそれを完全に覚えていると断言した。 「あなたが私の手を握り、自分の胸に置いた時、とても驚きました。」 「何を言っているんですか。」私は激怒した。 「ほ、ほ、頬です。」彼は訂正した。 「そんなことはなかったです。独参室であなたが私に近くに来なさいと言いました。そして私の手を取り、、」と私は言い直した。 「はい、そしてあなたが自分の頬に私の手を置きました。」と嶋野は話を遮った。 「私が自分の手を自分の頬に置いたのですか。」 「いえいえ、あなたが私の手を取り、自分の頬に置いた。」と彼は言った。 「そんなことは決してなかった。」と私は言った。 私の否定にも関わらず、彼は続けた。「あなたは私にこのままずっとこうしていたいと言いました。」 「そんなことは決してなかった。全く違う見解です。」と私はもう一度言った。 「問題は一人一人それぞれ自分の現実があるということです。」と彼は言った。 私が他の女性弟子達をインタビューしたことがあると気付かせると、「それはしばらく置いておきましょう。」と答えた。 「いいでしょう。ではお茶に招待したことはどうなりますか。」と尋ねると、「そうです。それも私自身の見解があります。」と述べた。 ある秘書は自分から嶋野との肉体関係を始めた。自分だけだと思っていたが違うということを発見した時、精神的に衰弱した。その後嶋野から完全に無視された。 ノラ・サフランという弟子は嶋野のセックススキャンダルについての手紙を招待された人々に送り、大菩薩の式典に抗議として来ないよう促した。しかしその日中川老師以外の全ての老師が出席した。彼は弟子や嶋野の行為に対する抗議として日本に留まり、彼から公に距離を置いた。何人かの弟子はサフラン氏の手紙のせいではないかと思っている。 「大菩薩の弟子たちは内密に老師たちに嶋野について話したが、アメリカでの禅の体面を保つ為にそれを秘密にした。」と彼女は説明した。 「その後中川老師が嶋野の妻に嶋野をもっと管理するよう頼んだが、嶋野が弟子を操るに従って、被害は増したということに気付かなかった。」ということを彼女は知った。 サフラン氏は自分の禅堂を作る為に嶋野の元を去り、約25名の弟子が彼女の所に加わり、他の弟子は別のグループに入った。何名かは禅の修行を完全に辞めてしまった。 グループ外では嶋野は依然影響力も信用もあり、約半分の弟子が辞めたにもかかわらず、さらに新しく弟子が増えた。特に77年のニューヨークタイムズ誌の記事の後、禅堂は弟子ですぐいっぱいになった。 彼女は嶋野の秘密を暴露したかった。しかし弟子を操る方法にセックスを使い、気が狂った男を世間が知れば、アメリカで禅は破綻してしまうだろうと思い黙っていたと説明した。 突然いなくなったある女性弟子の日記が見つかり、それには嶋野との出会いが書かれてあった。禅研究会の評議員に見せたが、嶋野と15年以上関わってきたシルバン・ブッシュ(元禅研究会の副会長、現会長)により証拠を隠蔽された。 80年にある女性がスザンヌという尼僧について公表した。彼女は2年間の嶋野との関係後、20歳も老けて見えた。以前の面影は全くなくなっていた。 ワシントンD.C.禅堂の禅師、ノーマン・ホベーグ氏は禅マスターの視点からこの状況がどう見えるか説明した。 「彼は謎に満ちた人でした。女性への性的虐待については聞いた事がありました。それと男性が彼と言い争いをしているのを見た事があります。その後彼は自殺しました。 強姦された女性やマインドコントロールされた被害者は、独参室で 容易に関係を見つけ出すことができ、他の老師でさえ弟子の弱みにつけ込まない様注意する必要があります。」 元嶋野の弟子であった、ケンブリッジ仏教協会の会長モーリーン・フラドグッド氏は、「嶋野は問題があった。誘惑に抵抗出来ない子供の様に演じ続けたが、良い教師として何年も私は支持しようとした。20年以上も嶋野に忠実であったが、今では彼の元に戻る事を拒否し、私の弟子達に嶋野のことを警告している。そして中川老師は嶋野を日本に呼び戻すべきだったと思っている。なぜならアメリカで禅が悪い方に向かっているからだ。」と述べた。 私は中川老師がアメリカに7年ぶりに戻ったと聞き、ニューヨーク禅堂と大菩薩に嶋野との事件とインタビューしたその他の弟子についての手紙を送った。 一週間後彼から電話があり、私たちは会う約束をした。私がその日を変更しようと電話をしたが、マーク・エトスキー氏から今後中川老師と会うには嶋野を通さなければならないと言われた。 電話が会ったというメモを中川老師に渡してもらえるか尋ねたが、やはり嶋野を通さなければならないと言われただけだった。 彼がこの新しいやり方を知っているか尋ねたが、知っているかどうかは重要ではないと言われた。 彼の年齢や健康問題、久しぶりのアメリカ滞在などを考慮して、正しい事をしてほしいと言われた。 次の日また電話をかけ、今度はカナという僧侶と話した。中川老師は物忘れが激しく、他に誰もぼけたと言ってなかったが、もう計画をたてたり電話で話す事ができないとその僧侶は言った。 中川老師は唯一嶋野を日本に追放させることができたので、嶋野は彼自身の指導者である中川老師を監禁した。 私は最初に決めた日に大菩薩へ行った。はっきりとした面持ちの中川老師を茶室で見つけ、私たちはお互いに一礼した。 私はお茶を勧められ、お茶の歴史の説明を聞いている間、中川老師は抹茶を点てた。それから「早急に手を打たなければなりません。これは非常に深刻な事態です。」と彼は言った。 ノートとカセットテープを取り出し、独参室で起こった事や嶋野との対立、また彼にそれらのことを問いつめると、私だけが見性を経験したと言っただけだったと私は説明した。 「これは死活問題です。彼の説明は納得出来ません。ただの嘘つきです。」と中川老師は言った。 再び沈黙の中私たちはお互いをじっと見た。 そして彼は「どういうわけか、嶋野は去ってしまった。まだ私に対する答えを持ってない。」と述べた。 私は彼を理解しようと一生懸命見つめたが、彼の眼差しは謎に満ちていた。 「この問題は7年前、大菩薩の式典時に起こり、そして今再び問題になっています。これは私に責任があります。」 答えのことを聞いたが、禅研究会の会長であるジョージ・ゾーナ氏と明日相談した後教えますと約束した。 その晩ゾーナ氏と電話で話した。「他人から理解し難い多くの僧侶が他にもいて、自分自身の問題に取り組む事で精一杯なので嶋野を批判することはできない。何人かは彼により傷つけられたが、多くの人は恩恵を受けた。なので誰の心も批判できない。彼は今生か来生で自分が蒔いた種は刈り取らなければならなくなるだろう。」と私に述べた。 次の週ジョージ・ゾーナ氏は、15年間の禅研究会会長を辞任した。 翌朝嶋野のアシスタントであり、大菩薩の常駐理事ディヴィッド・シャイナー氏から電話があり、もう電話で話すのではなく、これからは弁護士を通してほしいと言われた。 シャイナー氏は嘘をついていて、嶋野に操られていたと禅研究会委員であり、国税庁の監査役フランク・ロシセロ氏は言った。 彼は嶋野の正体を暴くのを協力してくれた最初の人で、禅研究会理事会へのジョージ・ゾーナ氏からの手紙をくれた。 以下は抜粋である。 「1975年のセックススキャンダルによる辞任まで、活動的な禅研究会理事であったマーゴット・ウィルキー氏の裕福で権力のある友達が、嶋野のことを知るともう献金しなくなるだろう。」 「援助者の不足により過去10年間、麻薬密売人からのお金に頼らなければならない程深刻な問題になっていた。」 「理事達は嶋野の妻が研究会の経理であることが気に入らず、もし所得税の申請をしなかったことが見つかると、研究会を終わらすことになる。」 私の調査により、ゾーナ氏が率先して何人かの理事によって嶋野の辞任を要求した。 嶋野は他の禅堂で坐禅を組みたいと言った、12年理事会の秘書であったペギー・クロフォード氏を辞めさせようとした。後にそれは誤解だったと言った。 セックススキャンダル中の嶋野を支持していた後、ゾーナ氏を怒らせた最後の事は中川老師への寄付を半分しか与えてなかったという嶋野の酷い扱いを聞いたことだった。 それから嶋野の精神衛生の問題である。小倉博士は嶋野の精力抑制の欠如や嘘は大菩薩から追放し、主要な権力を与えないべきだと述べた。 しかし嶋野と彼の妻は6人中4人の委員を支配していたので、辞任させるのは難しかった。 ロシセロ氏は嶋野と彼の妻を委員から外し、嶋野を大菩薩とニューヨーク禅堂の僧院長を解任させることを申し立てた。クロフォード氏はこれらを支持した。 しかし4対3で否決された。 嶋野老師は大菩薩とニューヨーク禅堂の僧院長を続けたが、禅研究会の会長は自ら辞任した。妻は経理を辞めなかった。 ロシセロ氏、クロフォード氏、フィッシャー氏、そしてゾーナ氏は研究会から辞任した。委員会はすぐに構成し、小倉博士の下、調査を続け決議を提案することは断念された。 短期滞在後日本に戻った中川老師から答えを受け取る事はなかった。 11月嶋野はインドと日本を訪れるためアメリカを去り、結制(90日間の修行)を欠席し、一度少し姿を現した意外、世間から隠れていた。 去年のある秋の晩、接心から帰宅した嶋野老師はタウンハウスと禅堂に「恥」と書かれてあったのを見つけた。 禅社会の人々は誰もそのことについて責任を追求しなかった。 |
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